2008年11月末の落下事故から4ヶ月、治療も功を奏せず2009年3月末にフェリちゃんは亡くなりました。 |
死後すぐに解剖することは、本当に辛いです。 まだかすかに体温さえ残っている状態です。 ひょっとしたら、まだ生き返る可能性さえあるのかもしれないという思いにもなります。 だから、以前セリちゃんの解剖をお願いした時も、先生の都合で死後4日後の解剖となりましたが、その時はそれでセリちゃんとお別れする時間がありました。 でも、死体解剖というのは死後時間が経つほどにその情報量は減ってしまいます。 腐敗が進むからです。 辛いけれど、死後なるべく早い時間に解剖した方が沢山の情報を得ることができるのです。 フェリちゃんの解剖は死後4時間後でした。 心の準備なんかする時間はありませんでした。 感情をすべてシャットアウトすることでしか対応できませんでした。 今は悲しみも何もかもを心の奥に閉じこめて、研究者としてフェリちゃんが与えてくれる情報を見落とさずにしっかり確認するのが私に与えられた使命だと自分に言い聞かせました。 |
そして、フェリちゃんのお腹が開けられ、出てきた問題の腸を見た時には本当に愕然とする思いでした。 触診では想像もできなかったほどの状態、その太さはイグアナの小さな体からは考えられないほどの太さにまでなっていました。 食べ物が詰まった大腸の太さは直径が6センチ近くにもなっていて、女性の手首よりも太いとも思えました。 |
ああ〜〜、フェリちゃん、ごめんね。 辛かったよね。 こんなになる前に、もっと早くに何とかしてあげれば良かった。 大腸はその太さだけでなく、太くなったことで粘膜が薄くなり、内出血も見られました。 これでは全く機能していなかったでしょう。 食べ物を送り出すことなんかできなかったよね。 大腸よりも上の消化管はほぼ正常で異常は無さそうでした。 病気で亡くなるイグアナの肝臓をこれまで何例か見てきましたが、必ず肝臓が腫れていたり、色が悪かったり肝硬変を起こしていたり、腫瘍の転移があったりという肝臓ばかりでした。 それに引き替え、フェリちゃんの肝臓は全く異常がありませんでした。 私が見た中では、ピカイチの肝臓でした。 この肝臓を見ただけでも、フェリちゃんはもっともっと長生きできたはずと思わずにはいられませんでした。 18年は生きられる肝臓だと思いました。 |
肝臓の奥にある肺、これは少し異常が見られました。 片肺に小型の白い結節がびっしりと見られました。 その病変が何かはすぐには分かりませんでした。 でも、これまでのレントゲン検査では確認できていなかったので、肺炎ではないだろうと思いました。 この肺は後ほど、病理検査に出すことにしました。 落下事故の後、呼吸が苦しそうになったこともこの状態のせいかもしれません。 |
心臓も全く異常がありませんでした。 老齢や病気の個体では心臓肥大も多いのですが、フェリちゃんの心臓は小さめでとてもきれいでした。 そして、その心臓が取り出された時、その心臓が動いたのです! おそらく切除という刺激が加わったことによる筋肉の収縮だと思うのですが、規則正しく動き始めたのです。 ・・・ フェリちゃん、今頃動いてももう遅いよ・・・ きっと これがフェリちゃんからの最期のお別れの挨拶だったのだと思います。 小さな小さな「さよなら」 |
膀胱は外見からも中身はほとんど尿酸だと分かりました。 透明な液体尿が見られませんでした。 最後の頃、強制的に排泄させた時に驚くほど沢山の尿酸が出ていました。 膀胱を切開してみたところ、パンケーキを焼く前の種のような尿酸の液体が充満していました。 その中には少し塊になりかけている部分もありましたが、結石にはなっていませんでした。 |
そして、最後に問題の大腸を切開してみることになりました。 大腸の一番下の方に詰まっている食渣は水分が吸収されてカチカチになっていました。 一応、消化はできていました。 大腸の上の結腸部分まではほぼ機能していたと思われました。 結腸の内容物は多くの水分を含んで柔らかでした。 下剤もこのあたりまでは効いていたと思いました。 でも、4ヶ月もの間、食べ物が停滞していたことによって、一番後ろの大腸への負担は相当なものだったのでしょう。 大腸はどんどん送られてくる食べ物でその太さが増していき、それにつれて腸の粘膜は薄くなっていったのでした。 こんな状態で腸をマッサージされても辛いだけだったでしょうね。 腸粘膜からの出血を見た時には、本当にかわいそうなことをしたと辛くなりました。 |
このような状態を確認できた後では、ああすれば良かった、こうすれば良かったと色々思ってしまいますが、治療中はどうしていいか全く試行錯誤の連続でした。 イグアナが何かを私たちに教えてくれる時には、その命と引き替えになってしまうことがほとんどです。 それがただただ悲しいです。 私の心はこの時に鍵をかけられたまま、まだ恐くてその扉を開けることができません。 その扉を開けてしまうと、フェリちゃんが教えてくれようとしていることを冷静に受け取ることができないという気がしてしまうのです。 フェリちゃんが自分の身をもって教えてくれた貴重なことを見逃すことはできません。 もうしばらくの間、私の心の扉には鍵がかかったままなのかもしれません。 |